親ががんと伝えられたり、病気で後〇年(あるいは〇カ月)と医師から言われたとき、あなたならどうしますか?

 

  • もう父(母)も高齢だから、何も知らせずにこのままゆっくり過ごさせてあげよう
  • もし病気のことを知って落ち込んでしまったら・・・

このように考えてしまいませんか?

 

私が働いている病院でもこのように

「できるだけ本人に悪い病気のことや余命は伝えないでくれ」

という家族は少なくありません。

 

でもそれって、誰のため?誰を幸せにするの?

実際に私が感じているジレンマと実際に起きているトラブルについてお伝えしたいと思います。

治療や今後のことを考えるのは何より「本人の気持ち」を尊重する

まずこのような病気や治療のことを考える時って、必ず病院が関係してくると思います。

入院中、あるいは外来で医師から説明があり、ご家族などが先に病状を知ることになるわけですよね・・・

本来であれば医療や治療は、医師からの説明に基づいて本人の意志決定と同意(インフォームドコンセント)に基づいて決められていきます。

しかしここで本人に事実を知らせずに家族主体で治療や療養を進めていくということが、その後の経過で大きなトラブルにつながりかねないというリスクをしっかり把握しておかなければいけません。

 

具体的なトラブルの内容については下記で説明していきますね。

 

安心できるのは家族だけ。本人が感じている苦痛とは

家族は病気や余命を本人に秘密にしておくことで、「安心感」を感じるかもしれません。

そしてきっと

「本人もこっちのほうが幸せだ」

と思っているのではないでしょうか?

 

実際に病気を隠されている、未告知の患者さんとかかわっている看護師の立場から事実を言わせてもらうとそんな甘い話ではありません。

何より本人が一番苦しんで、つらく悩むことになるのです。

 

「よくなるはずなのに、どんどん体調が悪くなっている」

「どうせ自分はもう短い命なんだ」

「帰れるって言われているのに帰れない」

「この先の希望がない」

 

これらは未告知の患者さんから、看護師がよく聞く言葉です。

 

元気なうちには余命宣告をしなくても、いつも通りの生活ができるので問題にはなりません。

しかし病気が進行してきて、症状が出たり思うように動けなくなった時に、患者さん本人の苦しみは始まります。

患者さん本人は、自分が置かれている本当の現状を知りたくて私たち看護師に病状や今後のことを聞いてくるように・・・

でももちろん私たちからは何も言えません。

 

「病気のことは先生に聞いてみましょう。」

「そうですよね、心配ですよね。」

 

と話を逸らすか、悩みを傾聴することくらいしかできません・・・

あなたならどうされたい?

私は退院調整看護師として日々このような余命宣告などに関する相談を受けさせてもらっていますが、本気で家族から相談をされた場合には

「もしあなただったらどうされたいですか?」

と聞いています。

 

私ならたとえ1年、半年、それ以下でも絶対に秘密にしておいてほしくはないからです。

もちろんここには一人一人の価値観や死生観というものがあるので、一概にはいえません。

 

でも私なら、余命は隠さずに伝えてほしい。そして残された時間、動ける時間があるうちに、残していく家族のためにできる身辺整理や旅行など、悔いがないような人生に近づけられるようなことを考えたいと思います。

 

これを聞いて、まだ30年間しか生きていない人間の浅はかな考えだと思いますか?

 

実際にベッドに寝たきりになってまでも

「どうして自分は家に帰れないんだい?」

「早く家に帰してくれ。」

と言いながら多くの高齢者の方が亡くなっているのが現状です。

ショックを受けるのはすべての人間が同じ。そしてすべての人間が必ず苦痛を受け入れられるのも同じ。

家族が本人に告知をしない理由で圧倒的に多いのが

「本人を苦しめたくない」「知ったら可哀そう」

という理由です。

 

逆に言うとあなたの親、家族はそんなに弱い人間ですか?

 

人間はショックを受けた時、必ず悲しみ、落ち込みます。そしてその悲しみの期間(人によって違います)を経て、誰しもがそれを受け入れ前向きに考えることができるのです。

 

これをフィンクの危機理論といい、人間にはこのような特徴があると定義されているんです。

人間はショックを受けてつらい思いをするけども、それがあって初めて受け入れれられるし、自分のこととして考えることができるようになるということ。

 

まだお元気で自分で考えて行動できる力がある方の場合には、最終的に自分で受け止め、自分でこれからのことを考えられるようになるためのサポートをしてあげるべきではないでしょうか?

余命宣告という苦痛を乗り越えた本人・家族だけがわかる生きがいとは

確かにこの余命宣告という過程は本人・家族にとっても非常につらいものになります。

しかしこれを乗り越えられた家族だけが、本人を中心に考え、家族が全力でそれをささえ、残された時間をお互いが悔いがないようにどのように生きるかを考えられる「有意義な時間」を過ごせるようになっていくのです。

 

そしていざ動けなくなって、お看取りが近くなっても

「もうやり残したことはない」

「死ぬ前にやれてよかった」

といった言葉が聞けるようになるんです。

 

本当に、本当にこれだけで本人の表情が違うんです・・・

 

余命宣告をしないで本気で悔やんだトラブルのケースとは

最期にどうしても私が何とかしたかったケースをお伝えしたいと思います。

 

その方はまだまだ元気で一人で生活をしていた男性の方。

がんということはご自身が知っていましたが、余命半年という告知はご家族である、ご兄弟の強い希望で本人には伝えていませんでした。

「まだまだ治療をして、頑張る」

そう前向きな方でした。

 

しかしがんは全身に転移し、少しずつ体力も落ちていきます。

食道に転移し食事が食べられなくなった時、家族は胃ろうを希望しました。

 

胃ろうを作ることになった際も本人には

「よくなったら口から食べられるようになる」

「今の大変な時だけ」

といった説明が家族の希望で医師からされました。

 

実際にその可能性もゼロではありませんでしたが、ほぼ不可能に近いと医療者は理解していました・・・

 

でも本人は

 

「それならちょっとの間、頑張ってみようか。」

 

こう納得したんです。

 

そして胃ろうを作り、やっと退院という話に。

 

何より本人が一番望んでいた自宅です。

 

しかしそうなった時に

「誰も胃ろうの管理や介護をする人がいない」

という問題が。

 

肝心の家族も、最初は受け入れに意欲的ではあったのですが、いざ退院が近づくと

「こんな難しい栄養のことはわからない」

「仕事もあるし、引き受けられない」

「余命がわずかで自宅で何かあっても困る」

このような不安を口にしました。

 

それでも「病気がよくなる」と信じて退院を切実に願っていたご本人の希望を叶えるためにも、必死に介護のサポートや訪問看護の利用のほかにも、デイサービスを利用して家族の負担を減らすことを提案させてもらいました。

 

しかし家族の不安は強いまま。

ご本人は普通に歩けて生活ができるような様子でしたが、胃ろうの自己管理はちょっと難しいのではという状況。

 

最終的に家族の強い希望で老人ホームへ入居することになりました。

 

その際の本人の言葉は今でも鮮明に残っています。

「こんなに元気なのにどうして俺は帰れないの?」

「よくなるのにどうして施設に行かなくちゃいけないの?」

 

そしてまた状態が悪くなって、病院に再入院することに。

「最期のチャンス」として医師から、本人が希望していた自宅への一時的な退院が家族に提案されました。

 

医師「もう残された時間はわずかです。今しかチャンスがないと思ってください。ご本人はずっと家に帰りたがっていましたが、たとえ数日でも一時的に家に帰らせてあげるのはどうですか?」

 

という提案に家族は

 

「こんな状態で何かあったら怖いです。」

「あなたたち(医療者)は本人が可哀そうって思ってるかもしれないけれど、こっちにも仕事も生活もあるんだよ。その大変さわかるの?」

 

とおっしゃいました。

 

確かにそうです。

実際に退院して身近にいるのは家族なわけで。

私たちのやっていることはおせっかいだったのかもしれません。

 

でもやっぱりこんなに何度も「本人が自分の人生を選べるチャンス」があったのに、最後まで自分の希望が通らないなんて辛すぎるじゃないですか。

 

だったらせめて、こんなにしっかりしている本人に自分の病状を伝えて、自分でどうしていきたいのかを選択させてほしかった・・・

 

個人的な理想論かもしれませんが、どうしても悔しくて一緒にいた相談員と泣いたケースでした。

 

その後その方は病院でお亡くなりになられました。

どうか死ぬ時くらい本人の希望が叶う世の中に・・・

大袈裟かもしれませんが、死ぬ時くらい本人の意志が尊重されてほしいと切実に思ってしまいます。

どんなに高齢になっても、その方が大事にしたいものって必ずあります。

 

家族、ペット、友達、仕事、自宅の花、好きな料理、旅行・・・などなど

その人の人生の幕が閉じる時、それが自分で納得して選べたら、きっと支える家族も幸せになるんじゃなのかなとも感じています。

 

私はただ一人の看護師にすぎません。

 

でも、でも、できる限り命の質を尊重したかかわりができるように日々患者さん、ご家族にかかわっていきたいと思っています。

 

拙い文章ですいません、読んでいただきありがとうございました。